聖徳太子は、飛鳥時代に「摂政」という役割で、日本の政治を整備しました。
飛鳥時代は、西暦500年代の終わりから700年代の続きました。
聖徳太子は、多くの政治的成果を挙げましたが、中でも現代日本人に最も馴染みのあるもののひとつに、十七条の憲法の制定があります。
十七条の憲法とは、貴族・官僚に対して規範を示し、和と仏教を尊ぶ思想で政治を行う宣言をしたもの、と言われています。
背景に神道・儒教・仏教・道教などさまざまな思想や宗教が含まれている、と言われていて、まさに日本文化である「和」という協調的に受け容れて進んでいく特徴が表れています。
ですから、第一条が「和をもって尊しとなす」で始まることを、多くの日本人が知っています。
学術的には「和」の解釈はたくさんあり、とてもひと言では言い表せませんが、多くの日本人は「和」と聞いてそのコンセプトを理解することができます。
私たちは、このイメージを、「和」を読み替えると「なごむ」と読めることから、平和的・協調的に多様性を受け容れるあり方を指していると言ってよいと考えています。
そして、日本人の原点のひとつを、素晴らしく簡潔に表現してくれた聖徳太子に感謝しなければなりません。
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